田辺ロータリークラブロータリーとは?
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田辺ロータリークラブの歴史

■田辺ロータリークラブの生い立ち

1951年(昭和26年)4月、東京において第60区(全国1区)の地区大会が開催され、その席上全国各クラブ会長に是非隣接都市に新クラブを創る様にとの方針が示された。大阪と和歌山ロータリークラブが田辺か新宮にと考えた末、田辺に白羽の矢が立った。和歌山クラブ西村正二氏が知人の小竹林二氏(白浜明光自動車社長)に相談、その後、田辺出身で田辺方面に馴染みの多い和歌山クラブの西本竹吉氏、長老の山本弥太郎氏、会長の垂井清之助氏、会員で和歌山県商工会議所所属の林富士雄氏が当地に足を運ばれ、大変なご努力の結果玉置三七郎氏、高垣五一氏をキーメンバーとして、田辺、日高、紀南と幅広い範囲でメンバーを募ることとなった。

最初の会合は、昭和27年10月3日午後1時より高垣五一氏、玉置三七郎氏の呼びかけで田辺商工会議所(二階)会議室において、有志(10名)が集まり、ロータリークラブの概要、組織の問題等についての懇談会がもたれた。尚、欠席ではあったが4名の賛同者があった。

2回目10月17日午後1時より商工会議所において、和歌山ロータリークラブのお二人が出席され、ロータリークラブについて更に詳細な説明、設立による諸問題等の質疑応答がなされた。

3回目の11月5日は午後1時より創立にともなう予算関係、発会式の日取等具体的な項目について活発な協議もされ、いよいよ実行の段階に入った。

例会としての形も整い、11月20日の出席者の意見により、例会日を木曜日に決定し、27日、12月4日、11日、18日正午から午後1時まで、その都度会費200円を徴収し、親睦と勉強会の例会が開催された。12月にはだいたいメンバーも揃い、12月25日の例会開催通知によると「本年最後の会合でもあり、尚新春より正式発足の件につきご協議申し上げたいと存じます」との記録も残されている。

いよいよ骨子も決まり、ロータリークラブ結成の機運も熟したが、年末の為、申合せの結果翌28年1月8日(木)発会式と決定した。昭和28年1月8日(木)田辺商工会議所での発会式は、午前11時から始まり、大阪ロータリークラブの栗本順三副会長、露口四郎幹事、藤原九十郎氏、和歌山ロータリークラブから垂井清之助会長、前会長山本弥太郎氏、清水常夫幹事、西本竹吉氏の各位がご出席され、当クラブの会員25名と共に創立総会が開催された。

当日は、ロータリークラブ定款が承認され、続いて細則では、

クラブ名稱・田辺ロータリークラブ。
範囲・田辺市、南部町、新庄町、白浜町、日置町。
理事七名、幹事、会計、會場監督各一名と決まり、
初代会長に高垣五一氏、副会長に上田芳伴氏、幹事に脇村正太郎氏外、
理事、役員が選挙された。
その他、入会金・五千圓也。会費年額・壹万弐阡圓也。
例会日・木曜日午后十二時半より午后一時半。
年次総会・毎年三月最終例会日。理事会・毎月第一木曜日。
例会場・田辺商工会議所会議室等が承認された。

続いて大阪ロータリークラブ露口四郎幹事による「ロータリーの精神・ロータリーの組織」についての基調講演があり、午後一時無事終了した。

仮クラブとしての発足後の1月22日3回目の例会には、和歌山ロータリークラブ林富士雄氏が出席、各委員会の性格や各委員会活動状況についての説明があった。その後の例会には露口氏をはじめスポンサークラブ会員が再三来田され、卓話や懇切丁寧な指導を受け、例会の形式が徐々に整っていった。
2月5日の理事会にはチャーターナイト準備委員会及び伝達式披露宴分担係も決定。各委員一人一人が他地区のチャーターナイト見学や、また他クラブにメイクアップ、その他インターシティ・ゼネラル・フォーラム(現在のIM)や地区大会への参加等、来たるべきチャーターナイトに万全の準備に奔走した。

昭和28年(1953)3月15日、鳥養(とりがい)ガバナーから3月2日付シカゴロータリー本部より、国際ロータリーへの加盟が正式に承認された旨の通知と「認証状」至急送達したとの連絡があり、ここに1月8日の創立総会におけるチャーターメンバー25名の田辺ロータリークラブ(日本で95番目)が誕生した。

4月1日(木)午後4時から初めての鳥養ガバナーによる、クラブアセンブリー、翌日公式訪問を受け、チャーターナイトに向けての組織作り等についてご指導を頂き、ここに正式にチャーターナイト伝達式並びに披露宴等の準備委員会が発足することになった。

昭和28年5月28日さわやかな気候のもと、田辺市公会堂において、小野和歌山県知事、田辺市長代理、第61地区鳥養ガバナー(大阪RC)、星野パストガバナー(大阪RC)、スポンサークラブ大阪RC渡辺会長、栗本副会長、露口幹事、スポンサークラブ和歌山RC垂井会長、山本前会長、清水幹事、その他朝日新聞社初め11社が臨席され、ロータリアンでは遠くは、東京、横須賀、広島、松江等144名の方々が参加、華々しくチャーター伝達式が行われた。こうして戦後和歌山県下で初めてのロータリークラブが(和歌山ロータリークラブは戦前設立)、大阪、和歌山をスポンサークラブとして誕生した。以来諸先輩の並々ならぬご研鑽、ご努力で今日の田辺ロータリークラブの基礎が築かれ、立派な伝統あるクラブに成長したのである。

■当時の会員の構成

会長
高垣五一
副会長
上田芳伴
理事
玉置三七郎、稲垣淳之助(先代)、三前歳三、
玉置辨吉、小野寺 裕
幹事
脇村正太郎
会計
稲垣淳之助
会場監督
多屋長一

■チャーターメンバー25名

榎本 三郎
(真珠養殖)(株)日本真珠養殖代表取締役
橋本 善夫
(相互銀行)興紀相互銀行専務
原 浩吉郎
(日本酒製造)堅和産業(株)社長
畑地  實
(床材販売)東新木材株式会社専務
平松 文一
(真珠販売)東洋真珠株式会社社長
廣本喜一郎
(苗木栽培)経営主
稲垣淳之助
(醤油製造)(先代)東稲垣醸造株式会社社長
糸川清一郎
(日本料理)大浜館経営主
柏木 藤吉
(米販売)穀物卸商業協同組合理事長
片山 参二
(工業銀行)三和銀行田辺支店長
熊代 五一
(和菓子製造)三万五千石本舗店主
三前 歳三
(木炭製造)三前商店代表取締役
中松  馨
(商業銀行)紀陽銀行田辺支店長
中村八十一
(民事弁護士)中村法律事務所
則岡 正男
(雑貨輸出)県釦工業株式会社社長
小倉加久雄
(鉄鋼販売)大宏商会社長
小野寺 裕
(不動産売買)紀伊白浜温泉土地株式会社社長
高垣 五一
(経済研究)江口証券株式会社顧問
玉置 辨吉
(外科医)玉置医院院長
田中 一也
(塩販売)(株)白浜開発社長
玉置三七郎
(ビール販売)田辺酒類卸商業協同組合理事長
多屋 長一
(書籍小売)多屋長書店主
多屋 平夫
(林業)林業自営
上田 育寛
(旅館)株式会社 桃の井社長
脇村正太郎
(医薬品販売)株式会社 切目屋薬局専務

■(参考)当時の近隣クラブ状況

和歌山ロータリークラブ
毎週火曜日 和歌山商工会議所
大阪ロータリークラブ
毎週金曜日 新大阪ホテル四階
大阪南ロータリークラブ
毎週火曜日 高島屋 花馬車
大阪北ロータリークラブ
毎週水曜日 阪急八階特別食堂